妊娠初期に約3週間入院した体験談|突然の入院と家族の支え
この記事は、妊娠初期に流産の危険があると説明され、約3週間入院した私の体験です。当時の書類は残っておらず、正式な診断名・妊娠週数・薬剤名は確認できません。医師や家族の言葉は、記憶に基づいて記しています。当時の指示や処置を、現在の一般的な治療として勧めるものではありません。
私は、心拍を確認できた矢先に下腹部の痛みが続き、病院へ電話して受診したその日に入院しました。入院期間は約3週間。退院した後、通院先を総合病院へ変更し、その後、無事に出産しました。
今も覚えているのは、突然の説明に涙が止まらなくなったこと、夫と母がそばで支えてくれたこと、そして入院中、安心して過ごせる場所を求めていた気持ちです。
下腹部の痛みで電話相談・受診 → 約3週間の入院 → 退院 → 通院先変更 → 出産
ようやく、赤ちゃんの心拍を確認できた。
うれしかったその矢先に、私は流産の危険があると説明され、そのまま入院することになりました。
下腹部の鈍い痛みは、記憶では1週間ほど続いていました。でも、下着に付くような出血はほとんどなく、「妊娠すると、こういう痛みもあるのかな」と考えていました。
それが、仕事を終えて受診した日の夜には、家に帰れなくなったのです。
この記事では、受診を迷っていたときのことから、突然の入院、家族に支えられた時間、退院後に通院先を変えるまでを振り返ります。
私と痛みや出血の様子が似ていても、同じ状態とは限りません。妊娠中の腹痛や出血など、気になる症状がある場合は、体験談だけで判断せず、かかりつけの産婦人科へ相談してください。
心拍を確認できた矢先、下腹部の鈍い痛みが気になりました
下着に付く出血がほとんどなく、受診を迷っていました
当時、ネットで「妊娠初期には、子宮が大きくなり始めることで鈍い痛みを感じる人もいる」という説明を目にしました。
「この下腹部の鈍い痛みも、きっとそうなのかな?」
私は、そこに書かれていた説明を、そのまま自分の体にも当てはめていました。
もし下着に鮮血が付いていたら、迷わず病院へ行っていたと思います。でも、実際にはほとんど付いていませんでした。それもあって、受診するかどうか、数日悩んでしまいました。
痛みがあっても毎日仕事へ行き、電車に間に合いそうにないときは小走りをする。自転車にも乗る。妊娠が分かってからも、そんなふうに普段の生活を続けていました。
今振り返ると、私は痛みの理由を確かめられたわけではありません。「自分もそうなのだろう」と思っていただけでした。
コピー機へ歩き出したとき、いつもと違う気がしました
ある日、職場で座っていた私は、すぐ近くのコピー機からFAXを送ろうと立ち上がりました。
歩き出した途端、下腹部の感覚が気になりました。
「ん? なんかこの痛み、もうすぐ生理が来る感じじゃない?」
それまでも鈍い痛みはありましたが、そのときは、さすがに何かおかしいのかもしれないと思いました。
次の婦人科の予約日までは、まだ日数がありました。それでも待つのが不安になり、病院へ電話しました。
すると、その日のうちに、遅くなっても念のため受診するように言われました。
受診したその日に、突然の入院が決まりました
エコーを見ながら、流産の危険があると説明されました
その日は仕事が遅くなってしまいました。
病院のある駅に着いたときには、最終受付に間に合うかどうかという時間。焦った私は、駅から病院まで走りました。
ようやく診察を受けると、先生はエコーの画像を見せながら、子宮内に多くの出血があり、赤ちゃんの位置がかろうじて確認できるほどだと説明しました。
その説明があまりに衝撃的で、今でも、見せてもらった画像の様子を覚えています。
流産する危険があること。
赤ちゃんを助けられるか分からないこと。
そして、今すぐ入院する必要があること。
今では一言一句を確かめられませんが、予想もしなかった説明が次々に続いたことは覚えています。
食事とトイレ以外は、横になっているようにと言われました。
ついさっきまで、受付に間に合うかどうかを気にしていたのに。
先生の話を聞きながら、私は涙をこらえるのに必死でした。
当時の書類がないため、この記事では診断名を「切迫流産」と断定していません。ここに書いているのは、私が覚えている説明と、その日に起きたことです。
夫と母の顔を見た瞬間、涙があふれました
夫と母も、仕事が終わってから病院へ来てくれていました。
診察室の扉を開け、2人の顔が見えた瞬間。それまで何とかこらえていた涙が、一気にあふれました。
何か言わなければと思っても、言葉になりません。ただただ、泣いてしまいました。
2人は、私の顔を見て、何かよくないことが起きていると察したようでした。
夫は背中をさすりながら、私が落ち着くのを待ってくれました。しばらくして、ようやく先生から言われたことを話せました。

不安でいっぱいだった私を支えてくれた夫と母
荷物を取りに行く夫と、畳の部屋でそばにいてくれた母
事情を聞くと、夫は、荷物はすぐに持ってくるから横になっていて、と言ってくれました。
私は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔のまま、入院手続きの書類を書きました。
あまりに急な入院だったため、病室の準備がまだできていませんでした。とりあえず横になれるようにと案内されたのが、畳の部屋でした。
そこに横になっている間、母はずっとそばにいてくれました。一緒に泣いてくれました。
気持ちをうまく説明できなくても、そばにいてくれる人がいる。そのことが、あのときの私には支えでした。

私自身の体を大切に思ってくれた、夫の言葉
夫は電話でも、私を励ましてくれました。
もし今回、赤ちゃんがだめだったとしても、私が元気でいてくれれば、それで十分だと。そんな気持ちを、一生懸命伝えてくれました。
電話の向こうで、夫も声を詰まらせていました。
赤ちゃんのことが心配でたまらなかった私に、私自身の体も大切なのだと伝えてくれた。その言葉は、今も忘れられません。
当時は、自分の過ごし方を責めていました
入院が決まったとき、私は、それまでの日常を何度も思い返しました。
ネットの説明を読んで、大丈夫なのだろうと思っていたこと。いつもどおり走ったり、自転車に乗ったりしていたこと。
「もっと慎重に過ごせばよかった」
当時は、本当にそう思いました。
NHS Walesの情報では、妊娠中の運動や仕事を流産リスクの増加と結び付けていません。私も「走ったからこうなった」「仕事を続けた自分が悪かった」と原因を決めつけることはできません。
一方で、今ある症状への対応や活動の範囲は、受診先に相談する必要があります。私が当時受けた安静の指示を、すべての方に当てはめるものではありません。
出典:NHS Wales「Miscarriage」
約3週間の入院生活と、病院で感じた不安
横になって過ごす毎日と、点滴・注射
入院中は、食事とトイレ以外は横になるよう指示されていました。
体を起こすことも負担になるという趣旨の説明を受けた記憶があり、当時の私は、その指示に従って過ごしていました。
点滴が続き、腕だけでなく、おしりにも毎日何本か注射を受けました。
薬の名前や、それぞれの処置の目的を確認できる資料は残っていません。そのため、具体的な薬剤名や効果は書けませんが、点滴と注射が続く入院生活だったことは覚えています。
唯一の楽しみだった食事も、匂いで食べられませんでした
横になって過ごす毎日の中で、食事は唯一の楽しみでした。
食事の時間は、体を起こしてもよい、数少ない時間でもありました。
ところが、看護師さんが食事を病室へ運んできてくれるたびに、その匂いがつらくてたまりませんでした。
「うっ、気持ち悪い……」
楽しみにしていたはずなのに、ほとんど食べられませんでした。
せっかく体を起こせても、気持ち悪くなってしまう。結局、またベッドに横になるしかありませんでした。
食事が届くのを待つ気持ちと、届いた途端に食べられなくなる体。その両方を抱えて過ごしていました。

注射の場面で、小さな不安が残りました
私は当初、この病院で出産までお世話になるのだろうと思っていました。
でも、入院中の対応に、不安を感じることがありました。
その一つが、看護師さんが針のカバーを外した状態の注射器を持って、病室に入ってきた場面です。
私はそれを見て、戸惑いました。
そのときの手順が医学的に適切だったのかは、私には判断できません。ただ、当時の私の中に、不安として残った出来事でした。
夜中に響く点滴のアラームが、怖くてたまりませんでした
ある夜、私の点滴のアラームが、暗い病棟に大きく鳴り響いたときがありました。
そのとき夜勤で対応していた看護師さんは一人で、機械を前に「これ、どうやって止めるんだろう」という趣旨のことを口にし、戸惑っているように見えました。
アラームが鳴る中、新生児室から赤ちゃんたちの泣き声も聞こえてきました。
私も焦り、心臓がずっとドキドキしていました。赤ちゃんのことが心配で入院しているのに、病室でも、こんなに不安な気持ちでいなければならないのかと思いました。
「この不安な時間、お腹の子にもよくないんじゃない?」
実際に赤ちゃんへ影響したかは分かりません。ただ、当時はそう考えてしまうほど、気持ちが張り詰めていました。
「とにかく止めなきゃ」
私は不安と焦りの中で自分で機械に触れ、音を止めてしまいました。音が止まったことは覚えていますが、点滴の設定や状態が適切だったかを、私が確認できたわけではありません。
あの夜、私は「この病院で、この先も過ごすのはもう難しい」と心から思いました。
退院後、総合病院へ通院先を変えました
出産まで通う場所を、考え直しました
赤ちゃんのことだけでも、心配でいっぱいでした。
だからこそ、病院では安心して過ごしたかったのだと思います。
入院中の出来事を重ねるうちに、私は、このまま同じ病院で出産を迎えることに不安を感じるようになりました。
これは、その病院の医療全体を評価できるということではありません。そこで過ごした私が、不安を抱えたまま通い続けるのは難しいと感じた、という体験です。
約3週間の入院を終えてから、通院先を変更しました
入院期間は、およそ3週間でした。
その病院での入院を終えて退院した後、近くの総合病院へ通院先を変更しました。
入院中に別の病院へ搬送されたのではなく、退院後の変更です。
その後は総合病院で経過をみてもらい、無事に出産することができました。
この結果は、私自身の経過です。入院や安静、点滴、注射のどれによって妊娠が続いたのか、私には判断できません。また、同じような状況にいる方の経過を保証するものでもありません。
まとめ|あの日の不安と、家族がそばにいてくれた記憶
妊娠が分かり、ようやく心拍を確認できたとき、私はうれしい気持ちでいっぱいでした。
それが突然、赤ちゃんを失うかもしれないという不安に変わりました。
下着に付く出血がほとんどなかったこと。
ネットで読んだ説明を自分にも当てはめていたこと。
そうした理由から、私は受診を迷っていました。
今も、もっと早く相談していたら、と思う気持ちはあります。でも、自分を責める気持ちと、医学的な原因を同じものにはしないでおこうと思っています。
約3週間の入院では、食事の匂いにつらくなった時間も、夜中のアラームに心臓がドキドキした時間もありました。
その一方で、忘れられない支えもありました。
泣いて話せない私の背中をさすり、待ってくれた夫。
畳の部屋で、ずっとそばにいてくれた母。
そして、私自身が元気でいてくれれば十分だと、声を詰まらせながら伝えてくれた夫の言葉です。
病院で何を言われたかだけでなく、その後、誰がそばにいてくれたか。そのことも、あの日の記憶の大きな部分を占めています。
私は退院後、通院先を変えました。自分が不安に感じていることを、そのまま抱え続けたくなかったからです。
今振り返っても、怖かった体験です。それでも、あの畳の部屋で一人きりではなかったことを、私はよく覚えています。
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参考にした公的情報
- NHS Wales「Miscarriage」:流産と、運動・仕事などに関する一般情報を確認しました。
- NHS「Miscarriage」:妊娠中の気になる症状について、医療機関に相談する案内を確認しました。
※この記事は、私自身の記憶と2026年9月に確認した公的情報をもとに作成しています。本文中の画像は当時をイメージしたもので、実際の人物や病室を撮影した写真ではありません。
